成績が伸び悩んでいる子に勉強の仕方を聞くと、「自分なりのやり方でやっています」という答えが返ってくることがあります。個性が大事にされる時代ですから、自分で方法を考えるのは良いことのように聞こえます。けれど、中身を見せてもらうと、たいていは教わった手順のどこかが抜けています。
英単語を書かずに眺めて覚える。数学の途中式を省いて、頭の中で済ませる。間違えた問題に赤ペンで答えを写し、それで終わりにする。
本人は工夫のつもりでも、やっていることは省略です。
しかも、省かれるのは決まって面倒な手順です。そして面倒な手順ほど、力がつく部分でもあります。
見ずに書けば思い出す練習になり、途中式は自分のミスを見つける手がかりになります。答えを写すだけでは、同じ間違いを次のテストでも繰り返します。我流は、いちばん効く部分から削っていくのです。
我流にはもう一つ厄介な点があります。
うまくいかないとき、どこが悪いのか分からないことです。
教わった通りにやって伸びなければ、手順のどこで崩れているかを型と照らし合わせて探せます。
型は正しいやり方であると同時に、自分のやり方とのずれを測る物差しでもあります。物差しを持たない我流では、本人にも周りの大人にも、直すべき場所が見えません。
以前、「言われたことを言われた通りにやる力」は、指示を正確に受け取る力だと書きました。
やり方についても同じで、型を守るのは考えるのをやめることではありません。自分の手の動きが型からずれていないかを、毎回確かめ続ける作業です。
茶道や武道で使われる「守破離」という言葉があります。
江戸時代の茶人、川上不白の『不白筆記』には、弟子は守を習い尽くせば、おのずと自分から破るようになる、という趣旨のことが書かれています。目を留めたいのは「習い尽くし」と「おのずと」です。
破は守を尽くしたあとに自然に出てくるもので、最初から選び取るものではありません。守を飛ばした「自分なりのやり方」は、型破りではなく、ただの型無しです。
こうした子が増えた背景には、教える側の事情もあります。
今は「言われた通りにやりなさい」と言い切る場面そのものが減りました。2019年の文部科学省の通知により、学校の評価でも「自らの学習を調整しようとしているかどうか」を見ることになりました。
学び方を調整する力が大事なのは確かです。ただ、調整するには基準が要ります。その基準になる型を、数十人を相手にする授業で一人ひとりに身につけさせるのは、もともと難しいことです。
誰かの怠慢というより、仕組みの問題です。こうして、型を教わらず、我流を止められることもないまま学年が上がっていきます。学力低下の一因は、ここにもあると考えています。
当塾で入塾直後にまず求めるのは、教えた手順を省かずにそのままやることです。
以前このブログで紹介した生徒は、入塾前は学年62位で、英語の基本がほとんど分かっていない状態でした。それでも自習時間を長く取り、指導を謙虚に受け止めて愚直に実行し、学年6位になりました。
我流は、年数がたつほど本人になじみ、外すのに時間がかかります。自分なりのやり方は、探して見つけるものではありません。守を尽くした子の中から、おのずと出てくるものです。
那須塩原市西那須野 本松学習塾 塾長のブログ
今の勉強法で伸びない理由を、短時間で整理します

