学力の伸びる子と伸び悩む子の間には、知識量や理解力以前の段階で、決定的な違いが存在します。それは、情報を受け取る姿勢の違いです。
私はこれを「吸収スイッチ」と呼んでいます。
本当に伸びる子は、このスイッチを滅多なことでは切りません。授業中、先生が何を話していても、まずは受け止める。一方、伸び悩む子ほど「あ、これ知ってる」と判断した瞬間、スイッチを切ってしまう。
そして、その直後に提示された新しい情報や、より深い理解へのヒントを、みすみす取り逃がしてしまうのです。
授業とは、一から十まで未知の情報が連続するものではありません。
既知の内容が大半を占め、その中に時折、新しい知識や気づきが散りばめられています。
本を読むときも同じです。すべてのページに発見があるわけではありません。
しかし、流し読みをしていては、肝心の「知らなかったこと」を見落としてしまうのです。
川で砂金を採る場面を想像してください。すくい上げた砂利がすべて砂金だったという幸運は現実にはあり得ません。
大量の砂利の中から、わずかに光る粒を見つけ出す。その作業を続けられるかどうかが、収穫を左右します。勉強もまったく同じ構造です。
「知っている」と思った瞬間に耳を閉ざす子は、砂利をすくう前から「どうせ砂金なんてない」と手を止めるようなものです。
伸びる子は、砂利の山を前にしても黙々とふるいにかけ続けます。その中に必ず何かがあると知っているからです。
たとえば英語の関係代名詞を扱う授業で、基本的な説明が続いているとする。「関係代名詞なんて中学でやったし」とスイッチを切る生徒がいる。しかし、その直後に先生が「入試で差がつくのは実はここで」と核心に触れた瞬間、その生徒の意識は別のところにある。最も重要な情報を受け取り損ねるのだ。
この現象の厄介なところは、本人に自覚がないことです。
スイッチを切っている間も、生徒は「授業を聞いていた」つもりでいます。ノートも取っているかもしれません。
しかし、頭は別のことを考えてしまっています。
後で「ちゃんと聞いていたのに分からない」という事態が生じるのは、このためです。
では、なぜ中途半端な学力の子ほどスイッチを切りやすいのか。「分かっている自分」を確認したいという心理が働くからでしょう。
学力に自信がないからこそ、知っていることに出会うと安心し、気が緩む。本当に学力の高い子は、自分が知らないことがまだまだあると自覚しています。
だから、どんな話にも「何か得られるものがあるかもしれない」という姿勢で臨む。
お子さんが「知ってる」「分かってる」と言ったとき、それを額面通りに受け取らないようにしてください。その言葉の裏には「だからもう聞かなくていい」という気持ちが隠れていることがあります。
「じゃあ、どこまで知ってる?」と掘り下げてみると、実は表面的にしか理解していなかったと気づくこともあります。
学ぶとは、知らないことを知るだけではありません。
知っていると思っていたことの中に、まだ知らない層があると気づくことでもあります。砂金は、探し続ける者の手にしか残らないのです。
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