「後ろめたさを感じない頑張り」では成績は伸びない

· 塾長の指導観・雑感

那須塩原市西那須野の高校受験・大学受験塾 本松学習塾塾長のブログ

「うちの子、ちゃんと勉強してるんですけど、なかなか成績が上がらなくて…」
保護者面談でよく聞く言葉です。

 

お子さん本人に聞いても「頑張ってる」と答える。

 

でも、テストの点数は変わらない。この矛盾の正体を、今日はお話ししたいと思います。
 

実は「頑張ってる」と「頑張ってない」の間には、多くの子どもたちが陥る第三の状態があります。それが「後ろめたさを感じない程度に頑張る」という状態です。
 

机に向かって二時間座っている。

教科書は開いている。

ノートにも何か書いている。

 

親から見れば「勉強している」光景です。

 

本人も嘘をついているわけではない。確かに勉強はしているのです。
しかし、その二時間の中身を見てみると、わからない問題があればすぐに答えを見て、「ああ、そういうことか」と納得したつもりになって次へ進む。難しい問題は「これは範囲外だろう」と飛ばす。こうした学習では、脳に負荷がかかっていません。
 

料理で考えてみましょう。レシピを見ながら手順通りに作れば、それなりの料理は完成します。しかし、本当に料理が上達するのは、冷蔵庫にある材料だけで何か作ろうとするときです。「この野菜とこの調味料で、何ができるだろう」と頭を悩ませる。

 

その試行錯誤が料理の腕を磨くのです。
レシピ通りに作るだけなら、気楽です。

 

でも、それでは応用力は育ちません。学習も全く同じ構造です。
 

では、本当に学力が伸びる「頑張り」とは何か。それは「知的負荷を感じる瞬間」を意図的に作り出す学習です。
 

スポーツジムのトレーニングを想像してください。ベンチプレスで五十キロを持ち上げられる人が、毎回三十キロで「楽に」トレーニングしていたら、筋力は伸びません。筋肉が成長するのは、「キツい」と感じる負荷をかけたときだけです。
 

三十キロで週三回ジムに通っても、「通っている」という事実で後ろめたさは消えますが、体は変わりません。
 

学習における「重量」とは、問題の難しさそのものではありません。「自分の頭だけで答えにたどり着こうとする時間」です。
 

英単語を覚えるとき、単語帳をパラパラめくって「ああ、これ見たことある」と確認するだけなら楽です。でも、それでは記憶に定着しません。

 

一方、単語を隠して「えーっと、何だっけ」と必死に思い出そうとする。この「思い出せない」という不快感と格闘する時間が、記憶を強化します。
 

数学の問題でも同じです。解答を見れば「なるほど」と納得できます。この納得は心地よい。しかし、自分で「この公式を使えばいいのか」と迷い、試し、失敗する。その苦しい時間こそが、数学的思考を鍛えるのです。
 

多くの保護者は「勉強時間」を管理しようとします。しかし重要なのは時間ではなく、その時間内に「どれだけ脳に汗をかいたか」です。
 

わかったつもりになるだけの勉強を何時間続けても、学力は伸びません。「わからない」という不快感と向き合い、それを乗り越える体験の積み重ねだけが、本当の力になります。
 

では、家庭でできることは何か。お子さんに「今日、一番頭を使った瞬間はいつ?」と聞いてみてください。即答できないなら、その日の学習は「良心が痛まない程度」だった可能性が高いのです。

成績が伸びる子は、わからない問題の前で、長い時間うなっています。その姿は非効率に見えるかもしれません。でも、その「非効率」こそが、脳を作り替える時間なのです。