主体性か、強制か

本当に子どもを伸ばす『導き方』とは?

· 塾長の指導観・雑感

那須塩原市西那須野の高校受験・大学受験塾 本松学習塾塾長のブログ

「強制的にやらされて潰れてしまった子もいるんですよ」

と語る教育者や保護者の声は、決して珍しいものではありません。

 

一方で、「主体性を育むことが何より大事」と唱える先生方も数多く存在します。

 

どちらが正しいのでしょうか?

 

実は、この問い自体に、私たちが見落としがちな「ある視点」が隠れています。

 

例えば、中学生1,000人のうち、果たして何人が“主体的に高校入試に必要な2,000語の英単語を自発的に覚え、入試本番を迎えられるのでしょうか。

 

実感として、10人いれば良い方です。大多数の子どもたちは「やらなきゃ」と頭では分かっていても、日々の誘惑や疲れ、漠然とした不安に流されがちです。

 

ここで「本人の主体性に任せるべき」という主張がしばしば出てきますが、現場にいると、それだけで成長できる子はごく一部だと痛感します。

 

一方、「与えられたものを強制的にやらされるうちに、主体性が芽生えてきた」という生徒もまた少なくありません。

 

実際、当塾の卒業生で、最初は仕方なく単語テストや課題に取り組んでいたものの、ある時期を境に「もっとできるようになりたい」と自ら学び始めた子は珍しくありません。

 

その背景には、「やらされる」ことを通じて自分なりの成功体験や達成感を得たことが、大きく影響しています。

 

では、「強制」は絶対に悪なのでしょうか。私は、「強制」それ自体よりも、導き方のバランスこそが重要だと考えます。

 

「主体性を伸ばす」ことを絶対視するあまり、やるべき課題を“やりたい子だけやればいい”というスタンスをとれば、結局は自分に甘くなる子が増えます。

 

逆に、やみくもに「全員絶対やれ!」と一律に課題を課し続ければ、たしかに潰れてしまう子も出てきます。

 

例えば、ある生徒A君はもともと「やらされる勉強」が苦手でした。しかし、最初のうちは「最低限これだけはやろう」と目標を明確にし、ご家庭にも「まずは習慣づけを優先してください」とお伝えしました。

 

すると、2ヶ月ほど経った頃からA君自ら「今日はもう少し頑張りたい」と言い出すようになり、そこから一気に学習量が増えていきました。

 

きっかけは“強制”でしたが、徐々に主体性に切り替わったのです。

 

ここで大事なのは、“強制”が「押しつけ」ではなく「適切な目標設定」や「伴走」の形で提供されたことです。

 

ただ言われるがままに課題を出すのではなく、その子の「できた」「やりきれた」という実感に結びつける導き方が重要です。

 

子どもは「やらされる」体験を通じて初めて「自分でやる」価値を実感することもある──この視点を、大人こそが忘れがちです。

 

「強制」も「主体性」も、それ自体が目的ではなく、子どもが自らの可能性を広げる“きっかけ”に過ぎません。

 

塾という現場から言えるのは、「導き方次第で、子どもの学び方も結果も大きく変わる」という事実です。

 

保護者の皆さまとも、この“バランスの取り方”を日々対話しながら、子どもたち一人ひとりの可能性を一緒に引き出していきたいと思います。