「母性」と「父性」

今、現場で本当に不足しているものは何か

· 塾長の指導観・雑感

那須塩原市西那須野の高校受験・大学受験塾 本松学習塾塾長のブログ

近年、教育に関する議論や現場の声を見聞きしていると、しばしば「もっと子供への理解を」「もっと子供をよく見てあげよう」「もっと子供に愛情を」といったフレーズが登場します。

 

これは一見、耳障りの良い、誰もが否定しがたい正論のように思えます。

 

子供の心に寄り添い、個性や悩みを理解し、自己肯定感を育む

——その重要性自体に異論はありません。

 

しかし、その背後には「母性」的アプローチこそが今の教育現場に不足しているという、暗黙の前提が横たわっているように感じます。

 

けれども本当に今、教育に欠けているのは「母性」なのでしょうか。むしろ「母性」が暴走気味で、「父性」が引っ込みすぎているのではないか、というのが私の率直な実感です。

 

そもそも「母性」と「父性」は、それぞれが母親・父親の専売特許というわけではありません。母親も父親も、両方の側面を併せ持つべきですし、指導者という立場であっても同様です。

 

「母性」とは、無条件の受容や共感、優しさや包み込むような姿勢です。

 

失敗した時も「大丈夫、あなたはあなたのままでいい」と肯定してくれる存在。

 

一方「父性」とは、社会のルールや秩序、目標への挑戦、努力や自律を促す厳しさや距離感、いわば“社会化”の側面を担います。

 

実際、現場でよく見かけるのは「頑張れなかった子」への無条件の擁護です。

 

たとえば、宿題をやらなかった生徒に対して「忙しかったんだね、仕方ないよ」と慰める。

 

しかしこれが続けば、「やらなくても許される」「叱られない」という暗黙のメッセージとなり、やがて生徒自身の自己規律や達成感の芽を摘んでしまうことになりかねません。

 

ここで必要なのは、「なぜやらなかったのか?」という背景への共感(母性)と、「でもやるべきことはやる」という筋を通す厳しさ(父性)の両立です。

 

実際、私の塾でも、時に厳しく接することで生徒が初めて本気で壁に向き合い、「やればできる」という自信をつかむ瞬間を幾度となく目撃してきました。

 

その後の親御さんから「以前よりも自分で計画を立てるようになった」「少しの失敗ではくじけなくなった」といった報告が寄せられることは、一つの象徴的なエピソードです。

 

「母性」のみが強調される時代背景には、子供の心を傷つけまいとする配慮や、失敗体験への過度な恐れがあるのかもしれません。

 

しかし、社会は厳しさと優しさの両方で成り立っています。家庭や学校という安全な場だからこそ、「父性」的なチャレンジや厳しさを経験させることが、最終的には子供の自己肯定感や適応力を本物のものにします。

 

「母性」と「父性」のバランスを、親も教師も今一度見直してみる。ありきたりな優しさや受容だけでなく、「あなたならできる」と信じて厳しさをもって導く覚悟——これこそが、これからの時代に必要なのではないでしょうか。