勉強する意味

· 塾長の指導観・雑感

那須塩原市西那須野の高校受験・大学受験塾 本松学習塾塾長のブログ

最近、ネット上で太宰治の勉強に関する見解が話題になっています。

太宰治の「正義と微笑」からの一節です。

長くなりますが、引用いたします。

勉強というものは、いいものだ。

代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、 もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、 大間違いだ。

植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。

日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、 将来、君たちの人格を完成させるのだ。

何も自分の知識を誇る必要はない。

勉強して、 それから、 けろりと忘れてもいいんだ。

覚えるということが大事なのではなくて、 大事なのは、 カルチベートされるということなんだ。

(注:カルチベート→育てる、洗練させる)

カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記 している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。

つまり、愛するという事を知る事だ。

学生時代に不勉強だった人は、 社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。

学問なんて、 覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。

けれども、 全部忘れてしまっても、 その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。

これだ。これが貴いのだ。

勉強しなければいかん。

そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。

ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ! (引用終わり)

勉強を単に「役に立つか、将来使うか、点数につながるか」という観点のみから行うのは、勉強そのものをあまりに味気ないものにしてしまいます。

 

無駄なように思えるものにこそ、勉強の真の面白さがあったりするものです。

 

偉大な研究や発明は、常人が疑問に思わないこと、当然と思っていることに疑問をもつことで成し遂げられてきました。

 

もし、「役に立つか」という視点のみで先人が研究していたならば、多くの偉大な研究や発明は成し遂げられなかったに違いありません。

 

そして、勉強することで多角的な視点で物事を判断する力が獲得できます。

 

安易に人の言うことを信じてしまうことがなくなっていきます。自分でしっかり思考でき、判断する。これからの時代に極めて必要な能力です。

 

そのような能力をもつ人間を太宰は「カルチベートされた人間」と表現している、と思います。

 

当塾は学習塾である以上、結果にもこだわりたいと思います。きちんとやるべきことをやり、結果を出す。

 

ただ、それと同時に結果だけではなく、真の意味で当塾の生徒が「カルチベートされた人間」になれるよう心がけて指導して行きたいと思います。