「本を読んでも国語力はつかない」の本当の意味

· 塾長の指導観・雑感

那須塩原市西那須野の高校受験・大学受験塾 本松学習塾塾長のブログ

「本を読んでも国語力はつかない」。この言い方は少しだけ正しくて、少しだけ誤解を生みます。

 

より正確に言えば、「本を読むだけでは、テストの国語の点数はストレートには上がらない」ということです。
 

ここで区別したいのは、「テストとしての国語」と「広い意味での国語力」です。

 

入試や定期テストで測られているのは、限られた時間内で文章を読み、設問の形式に沿って答えを出す力。

 

一方、読書が育てるのは、語彙や知識、活字に向き合う体力、情報処理のスピードなど、もっと基礎的な部分です。
 

塾で答案を見ていると、この差がよくわかります。

 

読書習慣がある生徒は、模試の見直しで知らない言葉に出会うと、自分で言葉の意味を調べ、文章全体の中でのニュアンスまで確かめます。

 

逆に、ほとんど本を読まない生徒は、未知の語にぶつかった瞬間に思考が止まり、「よくわからないけれど、なんとなく」で読み進めてしまいがちです。

 

前者は時間がかかっても語彙が雪だるま式に増えていきますが、後者はいつまでたっても見える世界が広がりません。
 

読書習慣の有無は、国語以外の教科にも表れます。

 

理科の実験手順や社会の資料説明など、文章量の多い問題で、普段から本を読んでいる子は、「まず最後まで読む」ことに抵抗がありません。指示を順番に追い、必要な条件だけを抜き出すことができます。

 

一方、本を読まない子は、途中で集中力が切れ、問題文を読み切る前に解答欄を埋め始めてしまうことが少なく、「読んでいるようで読んでいない」状態になり、ケアレスミスが増えるのです。
 

では、なぜ「本を読んでも点数につながらない」と感じるのでしょうか。

 

それは、テストにはテスト特有の「ゲームのルール」があるからです。

 

設問の意図を読む、選択肢の作り方のクセを知る、記述問題で「本文の根拠」と「自分の言葉」をどの割合で混ぜるかを体で覚える。こうした技術は、読書だけでは身につきません。ここは、塾や学校での演習と解説、くり返しの添削が必要な領域です。
 

保護者の方にお伝えしたいのは、「読書はテスト対策の即効薬ではないが、学力全体を底上げする“インフラ整備”である」という視点です。

 

高速道路が整っていれば、あとからどんな車を走らせてもスムーズに進めるように、小さい頃から読書習慣がある子は、中学・高校で扱う教科書にもスムーズに入っていけます。

 

逆に、高校生になってから慌てて語彙を増やそうとしても、土台の読書経験が薄いと、吸収のスピードには限界があります。
 

家庭でできることは、「もっと読みなさい」と叱ることではありません。

 

子どもの視界のどこかに、いつも手を伸ばせる本が置いてあること。物語だけでなく、図鑑やノンフィクション、活字が多めの漫画でもよいこと。

 

読み終えたあと、「一番おもしろかったところを一文で教えて」と軽く声をかけてみること。こうした小さな工夫が、読書と国語テストのあいだに橋をかけます。
 

国語の点数は、数字ばかりが目につきがちです。しかし、その数字を支えるのは、日々の読書の積み重ねと、テストのルールを学ぶ演習の両輪です。「本を読んでも国語力はつかない」という言葉を、どうか文字どおりには受け取らないでください。

 

読書は、すぐには成績表に現れないけれど、数年後の学びの景色を変えてしまう、静かな投資だと考えていただければと思います。