「勉強は楽しいべき」信仰が生む落とし穴

親の罪悪感と習慣化の本質

· 塾長の指導観・雑感

那須塩原市西那須野の高校受験・大学受験塾 本松学習塾塾長のブログ

「うちの子、勉強が楽しくないみたいで…」
 

保護者面談で、よく出るお悩みの一つです。そしてこの後に続くのが、「無理やりやらせるのはかわいそうで…」という言葉。

 

この背後にあるのは、「勉強は楽しくなければならない」「やらせるのは悪いことだ」という、ある種の“信仰”です。教育系YouTuberの多くも「楽しく学ぼう!」と唱える今の時代、その感覚はごく自然なものかもしれません。

 

しかし、ここで少し立ち止まって考えてみてください。

 

毎日歯を磨くのが楽しくてたまらない、という人がどれほどいるでしょうか。

 

スポーツ選手が毎日ストレッチをしているのは、楽しいからでしょうか。むしろ「やらないと落ち着かない」「やるのが当たり前だから」続けられているのではないでしょうか。

 

勉強も、実はそれと同じです。楽しいかどうかよりも、「習慣になっているかどうか」が圧倒的に大切なのです。

 

ところが、「楽しくなければ駄目だ」と思っている親御さんは、「楽しくなさそうにしている我が子」を見るたびに、自分が悪いことをしているように感じてしまいます。

 

「勉強しなさい」と言えば、表情が曇る。
 

「早く宿題しなさい」と言えば、ため息が返ってくる。

 

すると、「こんなこと言うべきじゃなかったかな…」と自己嫌悪に陥る。
 

そうして親の側が疲弊し、やがて「もう言わない方がいいのかもしれない」と声かけ自体をやめてしまう。

 

こうして、勉強が「生活の中で浮いた存在」になっていきます。

 

誤解のないように申し上げると、私は「子どもに無理やり詰め込め」と言いたいのではありません。

 

ただ、「楽しさ」はあくまで結果論であって、出発点にすべきではない、ということを伝えたいのです。

 

実際、塾に通っている子どもたちの中でも、「今日は勉強楽しかった!」と目を輝かせて言う子はいます。

 

でもそれは、毎日の学習が当たり前になった上で「ときどき現れる感情」にすぎません。いつもワクワクして机に向かっているわけではない。

 

むしろ、日々の学習に対して「何も感じていない子」ほど、習慣化が定着していると言えます。

 

歯磨きのように「やらなきゃ気持ち悪い」感覚で淡々とこなしている子の方が、成績は安定しています。

 

この視点は、親御さん自身の心を軽くするはずです。

 

「うちの子、楽しそうにしてない…」と感じても、だからといって悪いわけではない。
 

「やりなさい」と言って機嫌が悪くなっても、必要な声かけであるならそれでいい。

 

親が自分の声かけに自信を持ち、ぶれずに習慣化をサポートする。
 

それこそが、子どもが「勉強を苦にしない大人」になるための土台です。

 

「勉強が楽しいかどうか」はゴールではありません。
 

まずは、楽しくなくても淡々と続けられる力――それを育てていくことが大事です。